教雲寺について

歌の『夕焼け小焼け』に「山のお寺の鐘が鳴る」とあるように、お寺に懐かしさや田舎の風景のイメージをうかべる方も多いかもしれません。一方で、「お寺がどんな場所で、どんなことが催されているのかわからない」という方も多く、それではお寺が風景の一部に終わってしまいかねません。
お寺の役割は、地域のコミュニケーションの場と聞法の道場という役割があります。地域の方が集まり、お正月には年始の挨拶、お盆にはお墓参り、大晦日には除夜の鐘をと、春夏秋冬それぞれの季節に集まってコミュニケーションをとる機会がお寺にはあります。また、お彼岸・お盆・報恩講と仏教の教えを聞く機会が用意され、わたしの「いのち」を考える聞法の場がお寺です。
ぜひお寺に足を運んでいただきまして、あなたの豊かな人生の一助になることを願っています。

お寺の歴史

教雲寺は1576年、天正4年に始まったと伝えられています。

お寺のはじまり

寺の由来や沿革を記した文章が山門前の石碑裏に残っています。

由来

「略縁起」によると

禅僧 賢禅師と開村の主 河野藤左衛門政時が

堂宇を建立(年不詳)、萬福院光明院と号した。

天正四年(1576)住職 法傳を境とし
浄土真宗に帰依し

寺地を現在地に移し寺号を教雲寺と
改められたと記録にある。

第十九世 釋 不言 記

昭和五十九年十二月吉日

略縁起によると、黄檗山系の僧侶であった賢禅師が堂宇を建て、萬福山光明院と号したと記してあります。
天正四年(1576)、住職法傳(初代)の時に浄土真宗に改宗し、寺地を後山先坊から現在地に移転して教雲寺と号したと伝えられています。享保三年(1718)には、本堂を火災で焼失するなど幾多の苦難を経て、現在の本堂は大正十年(1921)に再建され、今日に至っています。築百年の本堂は、2021年に天井の修復などをしました。また山門である鐘楼門は安政四年(1857)に建てられ、鐘は寛政三年(1791)と刻印されています。お寺にお越しの際は是非ご覧ください。

江戸時代

天正4(1576)浄土真宗に改宗し教雲寺と号す

江戸時代

享保3(1718)本堂、火災により焼失・再建

文化11(1814)現在本堂屋根に「文化十一年」の墨書きが残る

安政4(1857)鐘楼門、再建

近代

明治38(1905)本堂、屋根の葺き替え

明治45(1911)宗祖650回大遠忌

大正10(1921)本堂、再建(現在の本堂)

戦後

昭和38(1963)宗祖700回大遠忌・第19世住職継職法要

昭和49(1974)宗祖誕生800年法要、聖人像建立

昭和53(1978)本堂、屋根の吹き替え

昭和63(1988)庫裏、建て替え

現代

平成5(1993)仏教壮年会、設立

平成9(1997)第20世住職継職法要

平成14(2002)門信徒会、設立

平成15(2003)仏教壮年会、設立10周年

平成19(2007)渡り廊下を研修室に改修

平成23(2011)慶讃法要勤修 
宗祖750回大遠忌・平成大修復落成・門信徒会設立10周年

未来

令和4(2022)慶讃法要勤修予定 
第21世住職継職法要・令和大修復落成・門信徒会設立20周年

昔の風景

浄土真宗のお寺・教雲寺

教雲寺をながく言いあらわすと、「浄土真宗本願寺派 萬福山 教雲寺」です。
この表現は、①宗旨・宗派、②山号、③寺院名を並べた形です。

①宗旨・宗派

仏教はとても裾野の広い宗教です。日本だけでも天台宗や真言宗、浄土宗など色々な宗旨があります。
そのひとつの「浄土真宗」に教雲寺は属しています。
さらに、浄土真宗にも真宗大谷派(お東)や興正派など10の宗派があります。

教雲寺は浄土真宗「本願寺派」になります。

お西」とも呼ばれ、本山は西本願寺です。

②山号

寺院の名前には「山号(さんごう)」というものが付属します。比叡山・延暦寺や高野山・金剛峯寺などが代表的です。
教雲寺の山号は、「萬福山(まんぷくざん)」です。

③寺院名

宗教法人としてのお寺の名前です。

寺院名は、教雲寺(きょううんじ)

全国的にそれほど多くはないようです