11月の日曜学校【焼き芋大会】

11月の日曜学校を開催しました。

今月のメインイベントは、子どもたちが毎年楽しみにしている「焼き芋大会」です。

目次

まずは準備

まず初めに、みんなで焼き芋の準備からスタートしました。

お芋を濡らしたキッチンペーパーで隙間なく包み、続いてアルミホイルでしっかり密閉します。

準備ができたお芋を、置き火になった焚き火の中へ投入。

火がこわいと言いながらも、子どもたちは一人ひとり勇気を出して挑戦してくれました。

本堂でご法話とゲーム

焼き上がりまでの40分ほどは、本堂でお勤めとゲームの時間です。

ご法話では、「便利なものと危ないもの」について、みんなと一緒に考えました。

ご法話「便利だけど、危ないもの」

さきほど、みんなと焚き火を見ましたね。
ちょっと怖かったよね。「危ないと思う人?」と聞くと、
「やけどしちゃう」「火事になる!」と元気に手が上がりました。

でも「火は便利だと思う?」と聞くと、
「ハンバーグが焼ける!」とすぐに答えてくれました。

火って、危ないけれど便利。便利だけど危ない。便利だけど危ないものって他にあるかな?と問うとみんな、次々といろいろ教えてくれました。

「水!お米を炊くとき便利だけど、洪水になる!」
「雨!田んぼには必要だけど、たくさん降るとこわい!」
「ハンマー! 便利だけど危ない!」

そして、ある子が言いました。
「……仏さま!」

思わず「えっ?」と聞き返しました。
その子も「あ、ちがうか!」と照れ笑い。

———-

でも、その一言があとになって、いろいろ考えさせられました。
仏さまは、便利だけど危ないものだろうか?

仏さまは、怒りや妬みから離れた、智慧と慈悲のお方。
人を救い、人を照らす、プラスばかりのお方です。
仏さまは危なくありません。
そして「便利」という道具の物差しで測ることもできません。

では、どうして私たちは「便利・不便利」で物を見るのでしょうか。
それは、何かを“道具として”見てしまうクセがあるからです。
「使えるか、使えないか」「役に立つか、立たないか」。

雨でさえ、自分の都合に合えば“良い雨”、合わなければ“悪い雨”になります。
人に対しても同じ目で見てしまいます。
「役に立つ人・立たない人」「良い人・悪い人」。
そうやって、いのちを道具のように分けてしまうのが、私たちの危うさです。

だからこそ仏さまは、
「便利かどうか」という物差しとは真逆の場所に立って、
私たちを照らしてくださいます。

“便利だけど危ないもの”の話からはじめた子供達へのお話。
実は、いちばん危ないのは
「自分の都合だけで物事を見る心」なのだと、
子どもたちの何気ないやりとりから、私のほうが教えてもらいました。

————————

さて、子どもたちへのご法話は、「言葉」について最後に伝えました。
言葉もそう便利だけど危ないもの。言葉は形がないけれど便利なものです。
一方でとても便利だけれど、人を傷つけることもある。
だから大事に使おうと、みんなに伝えました。

仏さまは、その「言葉の危うさ」をも気づかせてくださいます。

繰り返しですが、仏さまは、便利・不便利ではなく、
すべてのいのちをそのまま尊いと見てくださるお方。

今日の時間は、子どもたちの純粋な答えの中から、私自身が仏さまの教えにあらためて気づかされた、そんな学びのひとときでした。

身近な体験から、多くの気づきが生まれたひとときでした。

その後は本堂で「氷おに」。

住職が本気で鬼を務めると、子どもたちも全力で逃げ、本堂は笑い声でいっぱいに。

住職の息が早く上がったところで(笑)、焼き芋の様子を見に行きました。

美味しい焼き芋

焼き芋はちょうどよく火が入り、新聞紙で受け取った瞬間に「熱い!」と声が上がります。

ほくほくのお芋をほおばる顔は、どの子も満面の笑みでした。

お腹が満たされた後も、元気に鬼ごっこを続ける子どもたちの姿に、こちらが元気をもらいました。

今回も、ようこそお寺に遊びに来てくださいました。

次回も、子どもたちとの楽しい時間を楽しみにしております。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてください♪
  • URLをコピーしました!
目次